伊勢神宮旅行2・・・信楽散策 [遊び・旅行]
長岡黒壁スクエアからバスで1時間半で信楽へ・・・44年ぶりの信楽だった
まだ21歳の頃の夏に1か月、冬に4か月暮した町。。。
夏の1カ月は旅館を手伝いながら、半月窯業試験場で勉強させて貰った。
冬の4カ月は自分で東京でバイトしたお金で、住居を借り生活し窯業試験場に通った。
あえてアパートと言わなかったのは、馬小屋を住居にし、そこに住んでいたから・・・
4畳半で、鍵もなく、トイレも水道も外。。。信楽は盆地なので、冬は底冷えして寒い。
あんまり粗末な住居で、女の子が可哀想だと試験場の先生が家に来たらと言ってくれた。
なので、1カ月だけ住んだが、後は荷物だけ置いて、先生のお宅にお世話になった。
美味しいご飯も食べさせて貰ったので、ひもじい思いはそんなにはしてない。
信楽は封建的でよそ者を受け入れないし、女は嫁に行くと仕事やめるから轆轤を
教えても無駄と教えてくれないので、その後多治見に行く事にした
信楽を出る時、もう二度と来る事はないだろうなぁ~って思いながら去ったのだ。
神戸出身の窯業試験場の先生は多治見引っ越しもやってくれ、私は周りに恵まれていた。
もう44年も経つと、どの辺に暮らしたかもわからない
お世話になった旅館も無くなっているようだ。。。
今朝ドラのテレビの舞台になっている信楽。
いろんなシーンで、突っ込みを入れたい部分いっぱいあり、文句タラタラである
例えば、あの頃の手ろくろはあの形じゃないもっと背が高い手ろくろであったとか、
本焼きの窯を開けたのに、上絵付の花が可愛いと褒めている。
温度が違うから赤絵が本焼きから一緒に出て来る訳ないじゃないかと怒りたくなる。
昨日は電気窯が壊れ、穴窯を作りたいと・・・焼物10年やってるのに知識がなさ過ぎ
陶芸をやってるから妙に矛盾を感じるんだろうけど、唸りたくなることしばしば。。。
これからも朝ドラ見ながら、ドラマ終わるまで、私はテレビに文句付けてる気がする。
まず新宮神社。。。昭和天皇の句があり、旗を持って迎える町民が少ないので、
タヌキを作って、町民を多く見せて出迎えて、昭和天皇が喜んだという句。。。
その後、登り窯の前で、焼き方や信楽焼きの事を説明。。。登窯の正面。
横からと中・・・ちゃんと見学用にセッティングしてあり、一部上の部屋4部屋は
喫茶店にして、テーブルを入れ、コーヒーを出している。こんな使い方もできるんだ
壁のオレンジ色は「緋色」という、焼いて出来る信楽の代表的な焼き物の景色。
それが、今の朝ドラタイトル「スカーレット」。私にすれば緋色でいいじゃないか
と言いたくなるが、なんで、英語に変えるの日本の物だよと怒りたくなる。
昔使った穴窯もあったが、ちゃっちい家も穴窯2つ作ったが小さい方の窯と同じ大きさ。
煙道は家よりかなり長いねとひげおじさんと話していた。
この窯も煙公害で使われなくなったが、我が家も同じである。
信楽に来て、私が癒されるのは、今も昔も変わらぬ狸風景である。。。
ひげおじさん狸をみっけ
44年ぶりの信楽はまったく別物の地な感じで、私の心の中にある懐かしさは薄らいだ。
月日というものはそんなものだろう
さぁ~次はなばなの里へ・・・ つづき・・・