見えない物と見える物 [こころ(雑感)]
前の記事で、素手でマシュマロを掴んで細工してたのを見て、不潔だと感じる人がいる。
というコメントを頂いて、とても悩んだ。一番使う大事な手を汚いと感じる。
他人の手で何かをした物を汚いと感じる心。。。
ずっと考えていたら・・・ ある意味とても悲しく感じた。
自分の手は綺麗で、他人の手はいくら洗っても汚いのかと・・・
そういう見方、とらえ方しか、出来ないのかと・・・
私の素手でやってる写真だけを見て、そのようにしか想像出来ない心を悲しいと感じた。
写真を写す時だけは、ゴム手をして写して、写真もカメラを持った手で、作業してるように
見えるから、ひげおじさんに撮って貰った方がいいと・・・それは無理
ひげおじさんだって、料理してる。
手袋をしてないのに、してるように見せかけだけするのは嫌だと思った。
人がブログを見てるからとごまかすというのは私の気持ちが許せない。
私は左利きなので、ほとんど左で作業する。カメラのために左でやってるのではない。
だから右でカメラ持っても、その後右で作業していない。
この前の牛マシュマロのピンクチョコを付けた後、すぐ爪楊枝をマシュマロに刺している。
チョコが手に付かないよう爪楊枝をすぐ刺し、後は爪楊枝を持ちながら作業してる。
細かい作業のアーモンドスライスの耳は折れやすいので素手でやらないとやり難い。
それと、料理してる時、特にチョコなど扱ってる時は、少し触れただけで付くので
こまめに手を洗うか、濡れタオル、テッシュが必須
いろんな人が見てるから、気を付けないといけないのはわかるが、
そこまでこちらがいろんな人の見方を想像しながら、画像を乗せたり、
言い訳や能書きを書いてブログを書かなくてはいけないのかと、
思ったら、面倒くさくなって、やめようかなと、少し悩んだ。。。
で、なんで、そんなに素手で作ったおにぎりや寿司が食べれないのかって、
ずっとそれから考えて、辿り着いた結果は、作る人を信じてないからだと思った。
もし、戦争時代みたいに食べる事に困った時でも、素手で握ってくれたおにぎりだから
不潔だと感じて食べないで死ぬのかと・・・
家のランチに来るお客様は、私が素手で盛り付けていても気にしていない。
もちろんすぐそばに水道があるし、手拭きを置いてますから洗っていますが、
だからって洗ってる部分はお客様からは見えない。
でも、誰も汚いから素手はやめてと言われた事は一度もない。
これは私を信じてくれるからなんだと・・・
盛り付けの品がいっぱいあり過ぎて 時々忘れ、食べてる最中に「ごめんこれ忘れた」
と手で持って行って置いても、笑って、初日だから忘れるよねと優しく言ってくれる。
次の月のランチメニューをわからなくても、次の月の予約して行く方達も何組かいる。
不味い物は出さないと信用されているんだなって思うと嬉しい気持ちになる。
友達のおばあちゃんや寿司屋さんを信じてないから、素手が嫌なんじゃないか
それって 人を信じられない方で、素手の写真を見て、汚いとしか考えられない心や
違う見方を出来ない想像力の無さから来てるんだから、
ある意味とても可哀想な人なのではないかと、私は思えて来た。
ずっと考えて たどり着いた結果は「私がいろいろブログを見る側の事をあれこれ
想像しながら 考え過ぎてブログを書く必要がないんだ」と結論を出し
自分を納得させ、今までのように、ブログを書く事を続けようと思った。
もちろんそういう方はブログを見たら、家のランチには来ないから、大丈夫だと思う。
「何で、ブログを書くの」と自分に問うた時、一番は書く事が好きなんだなぁ~
って・・・ 時間を掛けて、言葉を選びながら書いているのが好きそれに尽きると
私は畑をやった時から、見た目の悪い虫が付いてる無農薬の野菜と農薬をいっぱい
使ってるけど、見た目が綺麗で農薬が見えない野菜とどちらを取るか
つまり、極端に言えば、虫を食べるか、農薬を食べるかと自分に問うた事がある。
気持ち悪い虫を食べるのも嫌だし、見えない農薬を食べるのも嫌
でも、虫の方が少し栄養があるかもと・・・そう言えば虫の入ったキャンデーがあるなぁ
と、思ったら、究極は虫を選ぶべきだなと・・・
私の畑は無農薬なので、普通に虫が付く。付かないよう手間かけて、お金掛けて
努力はしてるが、どうにもならない事の方が多い。
なるべく見て良いのをお客様にやって、私達は虫食いを食べている。
だからって味は変わらないけど、一所懸命栽培して、虫の食べ残しを食べてる悔しさはある。
虫は水の中に入れるとほとんど死ぬので、自分達の虫食い野菜は水に20分位浸けて食べる。
虫は見えるから除去出来る。見えない農薬や放射能はそうは行かない。
見えない物ほど怖い物はないのだと私は思っている。
見た目に脅されるな真実を見る力をと、間違いそうな自分に言い聞かせている。
私のランチはインスタ映えすると言われるけど、ポリシーを持って作ってるつもりだ。
見た目だけでなく,今回はこの野菜で この美味しさを伝え、このイメージで訴えかけたい
今回の干支展と合わせて、愛すべく牛を癒されるべく牛を所々に置いている。
牛(ぎゅ―)と愛してというタイトルなので、牛模様をハートにして愛を強調している。
見た目だけじゃない、味も盛り付けも私が今出来る精いっぱいを盛り込んでる。
不景気だから・・・ 今、いくら焼物を作っても、はっきり言って売れない
昨年まで最盛期の2割だったのに、今年は一割。経費の印刷、送料で終わってしまう。
今年は特にひどいけど、コロナのせいにしたくない
陶芸作品を自分の思い込めていっぱい作れば、在庫として残ってしまうから、
焼物は最小限作りたい物だけ、限られた時間で作るようにしている。
その思いを「見て食べてにっこり喜んでくれるランチ」に注いでいる。
そのこだわりが強いがため、働いてる時間が長く採算が採れないのである。
足が出れば続けられないが、そこだけ抑えて 何とか頑張って、私の食べる作品だと
思って作っている部分がある。(いつまでやれるかわからないけど・・・)
長々と書いてるけど、これも取りようによっては言い訳に聞こえるかも知れないな
自分の人生、やりたい事を一所懸命やって、納得して死にたいと思っているから
いろんな見方をされても、自分らしさを貫いて行こうと思う。