朝食・・・そして散歩しながら思う事 [サラダ生活]
この記事は、昨年暮れに書いた記事。。。だからちょっとボケ写真で悪しからず
この頃から、写真がボケるようになった特にマクロにすると・・・
10日経った今日、やっと気付いた。知らないうちにAFからMFになっていた。
間違って、どこかのタイミングでずらしてしまったのかも知れない。
ほとんど触る事もなければ、見る事もなかったから、気付けなかった。
情けな~ でも、わけ分かってホッとした
いくらオートダイヤルにしてても、MFじゃぁボケるわけだよ~
紅芯大根を雪の中から掘った次の日の朝食。。。
パンは上にクッキーそぼろ付きで何も入ってない食事パン。前の日のヒレカツを挟む。
レタス、紅芯大根、法蓮草、ヒレカツを挟んで食べ、美味しかった写真ボケ(笑)
パリパリの紅芯大根に葉物野菜、大豆、ナッツを入れたサラダ
全部家の野菜で、まだ最後のハウスの最後に取ったパプリカ、レタス、トマトがあるんです。
青森ですから、必ず冬はりんご食べます。ヨーグルトに自家製カシスソース入れて・・・
次の日の朝は、1月ランチのための試作パンを焼いた。
次はさつま芋フォカッチャにしようかと・・・
豆乳仕立てのさつま芋たっぷりフォカッチャ。使っているさつま芋は安納芋と紫芋。
焼き芋にしてから、練り込んだのでフワフワで美味しい
この配合で良さそうで、後は丸にするか、四角に伸ばすか考え中。。。
上に乗ってるさつま芋は柔らか干し芋。。。これがまた濃厚で美味しい
試食のために朝食。。。
サラダは昨日と変わりばえがしませんが、美味し過ぎ
1月のランチのパンも大体決まったし、朝食しっかり食べたので散歩でもしましょう
もう雪なので、昨日防波堤に行ったけど、道が付いてなくて無理だった
海は寒々として雪も降ってる事もあり、どんより。。。
海沿いの道でブルが入って、人がいなく、歩き易い所をひたすら歩く。。。
歩きながら、いろんな事を考えていた。
小さい頃、テレビで見る驚くようなドラマってテレビの中だけと思っていた。
でも自分の人生の中でそれが現実になるとは夢にも思わなかった。
小さい頃、姉によく弄られ、それが凄く嫌で、姉より優しいお兄ちゃんが欲しかった
妹や弟は出来る事は可能だが、兄が出来るはずもないのに、
お兄ちゃんがいる友達が羨ましかった
それが35歳になり、父の死で、突然父の前結婚の時の子供(つまり兄)が表れた。
とにかくびっくりしたドラマってテレビの中だけじゃないんだと、思い知らされた。
私は35歳まで死人も間近かで見た事がない位、
幸せな人生だったという事が初めてわかった。
それからが、いろいろ悩まなければいけない始まりとなったが、
次男が生まれる38歳の時、一代決心。。。
子供に後で迷惑かけてはいけないと思い、兄との遺産問題を解決するため 話合いをした。
しっかり気持ちを打ち明けたら、兄はとても良い人だった。
昨年亡くなった兄嫁が口添えしてくれたのがとても大きかった。
兄嫁はとても潔癖な優しい人で、「お金貰ったら離婚するからね」と言ったらしい。
そういう事もあり、私がお金を借りて遺産として渡し、
そのお金で大きい焼物の窯を買ってくれた。
形的に遺産を渡したような形にして、私に窯をプレゼントしてくれたのだ。
バブルの頃だったので、大きいガス窯が欲しかった
今は大き過ぎて、残念だがほとんど使っていない
今のご時世なら600万もする窯を買うという選択はなかったろう
35歳にして、望んでいた兄が出来たのは夢のような出来事だった。
今は仲良くして、畑話が共有出来たり、教えて貰う事が出来る頼りになる兄である。
仕事も子育ても大変だったけど、順風満帆だった42歳の時、突然障害者になった。
体が動かない朝、起きたら、体中が痛い悶えるほど痛くて、寝れないし、
身の置き所がない位全身が痛い2時間と続けて眠れない痛さ。
長男7歳、次男3歳、障害の耳の聞こえない母が居る。
仕事、生活を抱えてる私に伸し掛かって突然の出来事。
痛さに耐えながらずっと寝ていると、見えるのは居間の隅に見える蜘蛛の巣や埃。。。
子供の事、仕事の事、母の面倒をすべてひげおじさんに伸し掛かるだけでなく、
ずっと私まで障害者として面倒を掛ける心苦しさに情けなくなり、死にたかった。
ずっと どうしたら楽に死ねるか人に迷惑かけないで死ねるか痛い体を抱え考えていた。
そんな私を変えたのは、リュウマチの会の人の一冊の本だった。
この人達もずっと痛い生活をして、その痛みと共に生活する事、
いかに少しでも痛さを和らげながら生きるかを考えてる姿にハッとさせられた。
人間は苦しくなると自殺する事を考えるが、植物や動物は最後までしっかり生き終える。
野菜や虫を見てるとそこが立派で私は感動し、見習うべき姿だといつも感じている。
その本を見て、痛みと共に生きようと気持ちを変えた時、3つ目の病院で入院した
時に自分と合った薬との出会いで、1週間で普通の生活が出来るように回復した。
2週間でどん底に落ちて、2週間で元に戻った悪夢の1カ月。。。
そこで、いろんな事を考えさせられた。人間、いつどうなるかわからない
腹を括る事も大事なのだと・・・
それから一度きりの人生を一生懸命生き、悔いのない人生にしようと思った。
寒さでまたぶり返すかも知れない病気。それがきっかけで次の年、障碍者になっても
居れるバリアフリーの家を建てようと家を建てた。きっかけって、大事ですよ
48歳で、大腸癌になった時もいきなりステージ4で「まさか自分が死の淵に立ってる
なんて、考えてもみなかった」私はあまり風邪などひかないタイプで過信していた。
それだけに検診や少し体具合が悪くても気合いで直すという気持ちで病院に行かない。
それがアダとなり、倒れて救急車で運ばれてしまったら、かなり進んでいた。
すぐ手術して、その後は体に気をつけ、検診にも行き何ともない生活して、今に至る。
ドラマのような事って、本当にあるんだその中で自分は助かった
生かされた命を精一杯、いろんな事を考えながら、少しでも納得出来る人生を
野菜や虫のように生き抜いて行きたいと思えるようになった。
今、姪の高校生になる子が、突然朝起きたら歩けなくなり、救急車で運ばれ入院してる。
1カ月車椅子生活をしてるし、コロナで面会も出来ず、どんな気持ちでいるだろう
と、その子の事を考えると心が痛む。
その子の事を思いながら海沿いをひたすら歩いていて、私のように良い転機が来て
、治って欲しいなと思った。きっとあの子にとって、初めて経験する「自分ドラマ」
なのではないかと・・・どう転んでも周りは何もしてやれないもどかしさは大きい。
いろんな場面で決断を迫られる時。。。どうか頑張ってほしいと願うしかない
神は決して見捨てない 明けない夜はないと信じながら・・・
青森から、エールを送っています。